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タンゴの魅力に取りつかれて・・
看護師 左近充(さこんじゅう) 純子さん
左近充純子さんは兵庫県尼崎市出身で、現在は兵庫県芦屋市のクリニックに勤務している看護師である。ずっと以前から習いたいと思っていたタンゴを去年から始めたところだ。
仕事と趣味を両立させている左近充さんにタンゴの魅力について語ってもらった。 |
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― 小さい頃からダンスをされていたんですか?
幼稚園のときにバレエをしていました。体が硬かったので、親がさせたかったみたいですね。その頃のお稽古ごとって親主導で決めますから、そのほかにピアノもしていましたよ。でも小学生になって、どちらも止めてしまいました。
― バレエはあまり好きではなかったんですか?
体を動かすこと自体は好きなんですが、バレエ教室は黙々と励むって感じだったんです。もう少し、みんなでわいわいできたら楽しかったと思うんですけどね。
― その後は何かスポーツをされていましたか?
中学高校と剣道をやっていました。高校のときには体力作りのためにスポーツジムで水泳もやっていました。
― 看護師を目指されたのも高校時代ですか?
高校のときは看護師になろうとは思っていませんでした。両親は普通に大学に行くようにと言っていましたが、私はいわゆるモラトリアムで、迷いの多い時期を過ごしていました。大学に行くのはいいけど、何か違うという思いもありました。
― ほかに目指していた職業があったのですか?
メイクアップアーティストやデザイナーの仕事には漠然とした憧れはありましたけどね。 高校卒業後はなかなか進路も決められず、近所の内科クリニックでお手伝い程度のアルバイトをしていました。たまたま募集があって見つけた仕事なんですが、そこの院長先生が「看護師免許を取るといいよ」と勧めてくださったんです。
― それで准看護学校に進学されたんですね
尼崎の整形外科で働きながら、准看護学校に通いました。そこは私立で授業料も高かったのですが、自分で全部賄いました。それから公立の看護学校を目指して、猛勉強しました。准看護学校のクラス20人のうち合格したのは2人だけで、全体の倍率も7倍と高かったので自分でも頑張ったと思います。
― 看護学校に通いながら勤務されたのは産婦人科ですが、かなりきつかったでしょう。
24時間起きっぱなしの日もありました。夕方5時半から朝9時まで当直をし、10時に家に帰って、お風呂に入って、ご飯を食べて、学校に通い、また当直ということもありましたからね。でも、そのとき頑張っていたからこそ、今があるんだと感じています。
― 学校もほとんど無欠席だそうですね。
私は不器用なところがあり、そつなくこなしていくことが苦手です。だから人より苦労をしないといけないと思っていました。両親の援助も断り、実家からも出て一人暮らしをしていたので、あの5年間にそれまでにない苦労と貧乏を経験しましたね(笑)。最後の1年間は実習で、アルバイトもできないために貯金しておかなくてはいけなかったので、本当に辛かったです。両親は看護師になることを反対していたんです。私がボーっとしたところがあるからだと言っていました(笑)。だからこそ自分で頑張らないといけなかったんです。
― 無事に正看護師になって、すぐにダンスを始めたんですか?
最初は全く時間が取れませんでしたので、何の趣味もありませんでした。急性期病院で勤務を始めたのですが、初めのうちは慣れないことばかりでした。先輩方も職人気質の方が多くて、厳しさが漂っていましたね。女性ばかりの職場では、ちょっとした言葉使いが誤解を生むこともありますし、慣れるまでは難しかったです。その後、ほかの急性期病院に移ったのですが、そこも忙しくて、いつ寝ていいのか分からないほどでした。
― タンゴと出会ったのは、どういう経緯だったのですか?
アルゼンチンでのタンゴフェスティバルのビデオを見たのがきっかけです。それが今習っている先生の舞台で、「これだ!」と思いました。
― どういうところに惹かれたのですか?
日本でタンゴというと、ピクチャーポーズという、いわゆる決めのポーズがクローズアップされることが多いですよね。でも本場のブエノスアイレスではピクチャーポーズをいかにして見せるかということより、どういうスタイルでもOKな雰囲気があります。ショーのためのタンゴではなく、ミロンゲーロタンゴといって路上で行うタンゴもさかんです。おじいさんがおばあさんを誘って、ちょっと踊ったりとか粋なんですよね。
― 様々な資料を見て、研究されたんですね。スタジオも見て回られたんですか?
阪神間にはそんなにたくさんのスタジオがあるわけではないのですが、いろんなスタジオに見学に行きました。でも、やっぱりビデオで見た先生のスタジオに伺うことにしました。亮&葉月先生のスタジオです。お二人はブエノスアイレスで行われたアルゼンチンタンゴ世界大会で2位という実績を持っていらっしゃいます。これは日本人で初めての快挙だそうです。 ― そのスタジオの魅力は、どんなところにありました?
まず基礎をしっかり教えてくれることが魅力でした。ショータンゴはバレエの基礎を必要としますが、最近ブエノスアイレスで称賛を浴びているのはサロンタンゴを粋に踊ることなんですね。発祥の地であるからこそ、かっこつけずに、生活の中にタンゴがあるという感じでしょうか。そのためには基礎レッスンをしっかりやる必要があると思いました。
― 実際にレッスンを始めてみて、難しかったことはどんなことでしょうか。
体重の移動ですね。これはサルサよりもはるかに難しいと思います。
― どのぐらいの基礎レッスンを詰まれたのですか?
休みの間は毎日スタジオに通いました。プライベートレッスンは50分で1万円と高価なのですが、惜しくはなかったですね。タンゴというと官能的なイメージが先に立ってしまいますが、実際は地道なものなんです。お腹を締めて、上半身を持ち上げ、肋骨と肋骨の間を開かせるようにする姿勢になるためには、背中の柔軟性と背筋力が必要です。背中で踊ることが理想です。
― 基礎レッスンの後は、ペアを組んで踊るんですよね。
私はいつもお相手に恵まれていて、上手な人と組ませて頂くことばかりなんです。上手な人と踊れば、ステップは自然に覚えていけますから。それより立ち方、歩き方が上達することが大きいです。気持ちの良い人と踊ると、気持ちの良いものですよ。
― パーティーなども行かれるんでしょう
週に1回、大阪や神戸でパーティーがあり、そこに出掛けていました。ただ今のクリニックに移ってからは夜勤が多いので、パーティーには行っていません。「デモ」で踊る機会はありますよ。衣装も既製品のものに自分でスリットを入れたりして、改造したりと工夫をしています。最初のデモは震えるほど緊張しました。
― ある時期はお仕事も辞めて、ダンス一本だったとか。
1年弱でしたが、毎日踊っていました。その間には東京に旅行に行ったり、「ブエノスタンゴ」や「バーンズフロア」などの舞台を見たりして有意義に過ごしました。最初は看護師自体を辞めようかと思ったのですが、でも社会に出ていることの良さも理解できるようになったので、また看護の現場に戻りました。
― そこで看護師とダンスの両立を目指していこうと考えられたのですね。
めりはりがないとダメですよね。キャリアウーマン的な気負いがあるわけではないのですが、自分の時間を大切にしないと良い仕事もできないなあと感じています。
― スタジオでは後輩に指導することもあるんですか?
上手な人と組んで踊っているせいか、踊りが綺麗だと言って頂くことが多いです。それでペアの依頼をされることもありますが、男性に教えることはできないですね。
― 今後の予定をお聞かせください。
年末年始のお休みにブエノスアイレスに行きたくて、今航空券のキャンセル待ちをしています。本場の踊りを見たり、向こうのレッスンも受けるつもりです。宿舎を経営していらっしゃる日本人とも連絡が取れ、宿舎は確保できたので、あとは航空券だけなんです。
― 将来はプロのダンサーを目指すのですか?
いえ、本場のタンゴをまず見てみたいんです。まだ慣れないところもあるので、100%自分で気持ちよく踊れるようになりたいですね。相手を振り回さず、自分の踊りを確立できたらと思っています。
― 看護師を目指す人、それから趣味を極めていきたいと思っている人に一言エールを送って頂けますか?
全てのことに一生懸命やるしかないですね。
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